魏 安釐王の計り二
秦と魏が同盟国になりました。これに斉、楚は盟約を結んで、魏を攻めようとしました。魏は秦に救援を求めました。
その時、秦への貢物が多大に送られましたが、秦はいっこうに救援をよこしませんでした。
ここで魏の臣の唐且(とうしょ)が魏王に「この老臣、西へ赴いて秦に説いて、私の話が終わって帰るより先に秦の救援を魏に向かわせましょう」と。魏王は「ありがたく」と。
それで、唐且は秦に着き、秦王はこれに「魏からはたびたび使者が来ています。魏の危急はよくわかっています」と。
これに唐且は「大王が魏の危急を知っていながら、救援が来ませんのは、秦の臣下に魏の救援の任に耐えれる人がいないからであります。
魏が秦の東の藩屏(はんぺい)と称し、秦の衣服の制度を受け、春と秋に貢物をして秦の祭祀を助けるのは、秦が魏の同盟国に足りるからであります。
今、斉、楚は魏の近くにいます。もし、魏が危うくなれば、魏は斉と楚を講和を結びます。秦王がその時、魏をお救いになったとしても、間に合いません。
それは魏を失って、敵国斉、楚を強くしてやることです。
秦が魏の危急を知っても、魏を救援しないのは、敵国の斉、楚を強くしてやることになります。また、斉と楚が強くして、魏を失うことになるのです。
そこで唐且は秦が魏の危急を知っても救援を向かわせないのは秦のためにはならないと説いたのです。
秦は多くの宝物を与えられても、魏に救援に行きませんでした。これは秦が足下を見なかったからであります。
秦が足下をみないのでそこに唐且が足下を見せて秦の急所をついたのです。
およそ議論において足下を見ない議論があります。それで、足下を見ない議論には足下を見せて、急所をつくのです。
足下を見ない議論には、足下を見せる議論が勝ります。
足下を見せることは現実を見せることです。急所をつくことは浮いた話に現実を見せることなのです。これは現実の弁舌です。
現実を見せることは、議論において人を制すに足ります。
また、議論において現実を積みあげていくのは固い弁舌であります。
また、現実を見過ぎていれば、時に浮ついた話につかまります。
これは現実を見過ぎてなんら発展がないので、理想を見たかったからであります。理想を見せれば人が動くこともあるということです。理想の弁舌です。
また、逆に、前述したとおり、理想を見過ぎては足下(現実)を見せて、人を動かします。現実の弁舌です。